能登半島地震に関連して米山 隆一氏のポストが話題になりました。
非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います https://t.co/1rVQ6hDk1N
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) January 7, 2024
その後に米山氏は「災害復興における移住という選択肢」として、以下の動画をアップしました。
新潟という日本の地方で、それも山あいの限界集落で暮らしを営む者として、思ったことを綴りたいと思います。
動画内の趣旨を箇条書きします。
・今回の被災地はいわゆる限界集落と言われている地域が多い
・被災地には戻らず人口集積地の市街地に出て一緒に復興した方が早い
・大人数でいっぺんに復興できるからメリットがある
・被災者生活再建支援法は全壊の場合でも300万円で、この額では家は再建できない
・そもそも戻らない人が多いことが予想される
・再建ラッシュになって建築費が高騰する
・災害に脆弱な地域を再生産することになる
・リソースは有限、日本全体にとってお手本になるような復興をすべき
・日本の在り方が問われている
といった内容でした。詳しくは動画を見てください。
気になったのが「日本の在り方」という言葉でした。
おそらくビジョンのような意味かと。国のグランドデザインや国家百年の計のような。そういう壮大なものを語るにしては意思が感じられないなと思いました。
昔から人が住み、自然が豊かで文化のゆりかごのような場所。地方にはそういう場所が多いと思います。ただ自然に深く結びついているがゆえに、災害の影響も大きい。こういう場所に、つまり地方や中山間地に人が住まなくなり、市街地や東京にばかり人が住んでいるとどうなるでしょう。
世界と比較してもユニークな日本文化の奥深さ。
農業、食、歴史、伝統、文化、サブカル。
世界と戦っていく産業の力強さ。
化学製品、工業製品、物理学、研究開発力、情報産業。
これらをカタチづくる何か。伝統や文化、産業のもっともっと源流にある、「情緒」のようなもの。これらは日本の地方で育まれていると思います。
東京をディスる気持ちはないけど、東京だけしかない日本なんて何も生まれない。地方あっての東京だし、逆に東京あっての地方です。だから東京と地方の両方があって初めてユニークな日本なんじゃないでしょうか。
一見すると自然とは対極にあるような化学製品、工業製品、物理学、研究開発力、情報産業だって、きっとその土台には日本のユニークな地方の風土がもとになっていると思います。地方の景色や文化、人々の話す言葉といったものをアイデンティティとして。またそこからインスパイアをうけたり。
地方が無くなってしまえば、日本は様々なもの生み出す土壌を失うと思います。
それは「日本の在り方」としてどうなのか。
環境から、条件から、行き先を決めるのは誰にでもできるのではないでしょうか。
条件を入力して導き出される答えはAIにも出せる。
そうではなく私たちが何を大事にしてどこにどのように向かうのか、その意思を問うのがビジョンだったり、国の在り方というものだと思います。
「分析」「棚卸」だけでは袋小路のように同じところに帰結してしまいます。創造的なことはできません。
確かに人口が減ってお金は無くなっていきます。リソースは無い無い尽くしです。すべての地方が生き残れるかというと、現実はそう簡単じゃないでしょう。けどそれをどうにかするのが意志の力ですし、技術革新はそのためにするべきじゃないでしょうか。
無くなった文化や伝統は二度と戻らない、この宇宙から永遠に失われる。それは日本だけでなく世界人類にとっての損失です。
まぁいますぐ集団移転をしようという話ではないと思いますが、ただ政治家がそういう認識でいるとどんどん情緒を切り捨てて面白くない世の中になるなぁと思いました。
山あいの集落、小清水に住んでいる私の考えをお伝えしました。